多くの新郎新婦が、欧米スタイルの結婚式のように教会で結婚式を挙げています。結婚式のスタイルは欧米の文化をお手本にしたものが多いですが、結婚式の際にゲストに渡す「引き菓子」の風習は実は日本で生まれたものです。ここでは引き菓子の歴史を探ってみましょう。
結婚式は日本にはなかった?
結婚の際に、現在でいう披露宴のような儀式は日本にも昔からありました。新郎家に親戚縁者を招待してお披露目の祝宴が3日がかりで行われていたのです。しかし、結婚式のような風習はありませんでした。明治時代の中頃になってようやく、欧米から日本に結婚式の文化が取り入れられました。そのため、現在の一般的な結婚式のスタイルは、欧米をお手本にしている部分が多くあります。
引き菓子は日本の伝統文化
このように結婚式のスタイルは欧米から入ってきた文化ですが、引き菓子は古くから日本にあった伝統的な文化です。引き菓子はもともと、婚礼の際に限定して贈られるものではありませんでした。しかし、現在は結婚式特有の文化となっています。
引き菓子が風習として定着したのは江戸時代
平安時代の貴族たちは婚礼にかかわらず、何かめでたいことや喜ばしいことがあるごとに祝宴を開き、招待客へ贈り物をしていました。やがて武士の時代が到来すると、宴の贈り物は馬から刀剣や金品などへと変わり、アワビやこんぶといった、縁起がよく、当時は高価であった食べ物が添えられることもありました。また、江戸時代に入ると、焼いた鯛や鰹節が登場するようになります。そして、江戸時代後期に差し掛かると、生菓子が流行るようになりました。これらが「引き菓子」のはじまりです。
江戸時代の武士にならって縁起物を
戦に勝つことで領地を増やして名を広め、家を繁栄させることが重要だった武家社会では、縁起を担ぐことを非常に大切にしていました。たとえば、出陣の際に武士たちは、打ちアワビ・勝ち栗・こんぶを肴(さかな)に酒を飲む「三献の儀(さんこんのぎ)」という縁起を担いだ儀式がありました。引き菓子としては前述のように「めでたい」とかけて鯛を、「勝男武士(かつおぶし)」とかけて鰹節を用意したといいます。そうした心情は昔も今も変わらないもので、その効果が目に見えて表れるわけではないものの、婚礼をはじめとした慶事には縁起物を使わない人はいないのではないでしょうか。
そうした日本の古来の伝統を受け継ぎ、鯛や鰹節、長寿の象徴である鶴亀などをあしらった引き菓子を用意してはいかがでしょうか。